ミャンマー奮闘記(第2報)

投稿(文、写真) 谷口良雄さん HP編集 中村一彦

谷口さんは昨年4月にミャンマーの日本語学校に招聘され、5月には渡航されました。
第一報は昨年8月に掲載されましたが、今回は第二報です。
内戦状態にあるミャンマーでのご活躍はご苦労があるかと思いますが、日本語教師として、信頼される立場に有り、日本での就職を希望するする生徒さん達の教育に日々専念されています。ミャンマーの現場から奮闘記(2)をお送り致します。

ミャンマーの気候
ミャンマーから日本に行った元学生から「日本はとても寒い」という声を聞きます。ヤンゴンにいる学生も、朝晩は「寒い」と言います。今は乾季で雨はほとんど降らず、昼間は毎日30〜33℃の晴れ間が多いです。陽射しは強くて暑いです。でも朝夕は涼しくて、日本の秋の季節のようです。

昨日は「介護クラス」の卒業イベントが教室で行われました
学生たちが企画して、お金を出して私たちを招待してくれます。
卒業後、多くの人は故郷に帰って、ミャンマー政府の出国許可と、日本政府(入管)からの入国許可を待ちます。しかし、数カ所の故郷では「政情不安」のため、帰ることが出来ないところもあります。
道路が寸断されている。通行禁止になっている等です。
数人の家族は、街全体が内戦状態(国軍と民主派勢力との戦闘)で、住民の全てが避難してしまったとの事です。森の中で、ボランティアの支援(衣類、食料など)を受けてテント生活の家族も居るようです。
今は、自宅がどうなっているのか分からないので、帰宅できないといいます(国軍が占領中かも)
そのため、ヤンゴン市内に友達と部屋をかりたり親戚や友人にお世話になったりします。
お寺に寝泊まりする人や、日本に行くまでの間アルバイトをする人もいます。
日本語学校に限らず、韓国語学校や英語学校には大学や高校をやめた学生がかなりいます。
彼らは、現政権反対の意思表示の一つとして、「不服従運動」に賛同し、大学、大学院、高校を中退した若者は多いようです。
民主派の統計では、大学生の80%が登校拒否(その殆どは自主退学)してるそうです。
そんな政情の中で行われた日本語学校「卒業イベント」ですから、若さの爆発というか秘めたエンルギーがほとばしった会になりました。
あこがれの地、日本!に無事行ける日が来る事を心の中で願うしかありません。

介護クラスの卒業イベント

右、前から三番目に谷口先生がいます。

↓下記の画面をクリックして下さい。動画がみられます。

道路の穴は、もう半年以上補修されないまま。ヤンゴン市内至る所に・・・・
ここを夜バイクや自転車に乗った人はどうなるのでしょう?

朝7時頃、お坊さんに食べ物を差し上げるボランティアの少年達。
彼らは裸足が多い。
殆どの人は普段サンダル履きです。(私も)

比較的治安がいい、ヤンゴンの
ローカルの朝、美しいですね!

学校を卒業して、これから日本に向く日の朝。老人介護施設の介護士、ラーメン屋の店、、室内デコレーション などの仕事で。

今も、ミャンマー各地で 国軍と、それに反対する少数民族の武装組織(大学中退者が多く加入している、とされている)が衝突を繰り返す地域(✖️印)。  日本外務省では「渡航しないこと」と警告している地域。。

私が勤める日本語学校には日本に行って、介護士として働くための「介護クラス」があります。そのクラスの学生に作文(何を書くかは自由)を書いてもらいました。日本語学習歴はまだ 半年〜10ヶ月程度なので、内容的に深い文章ではありませんが・・・・・。
ミャンマーの若者らの生の声を知っていただきたいと思い、ここに紹介いたします。

題名………「私の故郷」
私のふるさとは小さくて静かな村です。お祭りがたくさんあります。
たいてい、宗教的なお祭りが多いです。その中でクリスマスが一番楽しいです。昔はクリスマスになると、夜、実家に帰って歌いました。しかし、今は政治によって 歌を唄うことが禁止になりました。
正月にはいろいろなスポーツをします。その中で、サッカーが大好きで楽しいです。お祭りには友だちと集まって、ビールやジュースを飲んだり、いろいろな物を食べます。
村人の多くは農業です。また、女の人の多くはお酒を作っています。
米で作るお酒です。そのお酒は私たちの伝統的なものです。
私の村に住む人たちは親切で、困ったときは手伝ってくれます。
村には山や川があり、川では釣りが出来ます。私たちばかりじゃなく、
ほかの村の人たちも来て釣りをします。村の周りに田んぼがあります。苗を雨季に植えるので村の周辺はもっときれいになります。 (女性 27歳)

題名………「願い」
政治の状況が悪くなって、まもなく3年にります。 ミャンマー国内のどこでも戦争のことを聞きます。私の街にも戦争があります。戦争のせいでたくさんの家が壊され、大勢の人が死にました。多くの人たちは自分の街に住めませんから、ほかの村や町に引っ越しました。私の家族もその中の一つです。
家族は今、田舎に引っ越しして いろいろな苦しみに直面しています。
電気も無いし、インターネットもありません。交通機関はとても悪いです。
私は今、便利なヤンゴン市にいますが、家族に聞きたいです。
「今、何をしていますか」「元気ですか、食事はどうしていますか」
「今、冬ですから寒いでしょう?」
私は故郷に帰りたいですが、帰れないので家がとても恋しいです。
故郷の家が壊されているのかどうか、状況を知りたいです。
かっては、賑やかで美しい村が恋しいです。家族の悪い状況が終わって、自分の家に帰り、のんびりと休みたいです。家族に会いたいです。もし、いつか自分たちの家に帰ったら、家族と美味しいものを食べたり、おしゃべりをしたいです。家族と一緒に楽しく温かく過ごしたいです。
今の状況が早く終わるように願います。 (20代、女性)

*注)「私の故郷」の作文の中で、
「歌が禁止になった」というのは「政治的な歌は禁止になった」の意味だと思われます。(谷口)

                                       以上

*この投稿を読まれて、感想文が来てますので、ご紹介致します。
お忙しい中で谷口さんの紀行文をUPしていただき、ありがとうございました。写真で見ると、学生たちは明るい顔をしていますが、作文を拝見すると皆さんが大変なご苦労をされていることがわかります。家族のところに行く事も出来ない、家がまだあるのか、家族は無事なのかさえも不明、ということは大変な心痛と感じます。皆さんが無事に日本にきて、生活が安定して、家族に仕送りをして家族が平穏に暮らせることを祈るばかりです。どうもありがとうございました。(宮田敬生)