ロングステイクラブ上尾中山道

新緑を訪ねて第2回「栃木市」

2024年5月15日快晴の元、第2回新緑を訪ねて、今回は栃木市を訪ねました。

幹事 大野康昭・真渓佐智子  投稿/HP編集 中村一彦

10人参加、中央は栃木市観光協会観光ボランティア荒川さん、本日、一日ご案内いただきました。
5月15日、願っても無い快晴、午前10時、JR栃木駅、東武駅、共通コンコースに集合

 日光例幣使街道の宿場町栃木は、街中を流れる巴波川を通して江戸との舟運でも栄え蔵の街としても知られています。塚田歴史伝説館、山本有三ふるさと記念館、隔年に催される秋祭りに街中を練りあるく山車を集めた山車会館等をボランティアの観光ガイドの案内で見て回ります。昼食(現地老舗料理店を予定)後は、巴波川遊覧船乗船に乗船。新緑の中、関東の小京都ともいわれる古い町並みを散策しました。

ガイド荒川さんの案内でスタート。
栃木駅からの散策、最初にあったのは、「山本有三」の石碑。「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かせなかったら、人生、生まれてきたかいがないじゃないか。
山本有三 作、路傍の石より

東西・南北への分かれ道標識。

巴波川に出ました。丁度、鯉登りの季節で1000匹以上の鯉登りが歓迎してくれました。

栃木のルーツ
1617年家康の霊柩が日光山へ会葬され、その後、朝廷からの勅使が、日光東照宮へ毎年参行する様になりました。その勅使を例弊史ということから、通る道は日光例幣使街道とよばれました。栃木はこの街道の宿場町となり、人が集まり、物が集まるようになりました。これが、商都としての発展のきっかけとなったと言われます。さらなる発展の原動力となったのは、巴波川の舟運での江戸との交易であると言われております。江戸からは日光御用の荷や塩などが運ばれ、栃木からは、木材や農産物が運ばれました。舟運は江戸の初めから利用され、次第に交易が盛んになり、江戸の終わり頃には、栃木の商人達は隆盛を極めたと言われております。その豪商達が白壁土蔵を巴波川の両岸に沿って建ててきました。
栃木市の蔵の町並みは、かっての、栄華を極めた豪商達の歴史が築いて来たものなのです。

鯉登りが騒ぐ、巴波川の東側にある100m以上続く蔵、塚田歴史伝説館を訪れました。

日本初、(世界初ですよね)三味線を弾くおばさんロボット 本物と見違えた人も。そばに猫がいるのも良いですね!
明治時代当家で使用した古道具などが展示してある。
お雛こつきからくり人形山車 ひょっとこロボット誕生。
人体ロボット蔵芝居「うずまがわ悲話」

少し長い話ですが、ぜひ、読んでください」
うずまがわ悲話昔この「巴波川」その名前の通りうずをまく暴れ川で、橋を渡しても2年と持たず人々を苦しめていた。
この巴波川が流れる村に「お雪」と「多吉」という16歳と6歳の姉弟が住んでいた。
両親は早く亡くなり親類の家に身を預けていたのだ・・・
さて、ある年また暴れ川「巴波川」が氾濫を起こし橋が流されてしまう・・・
そこで、村人たちが集まり「人柱」を立て巴波川の主「龍神」の気を静めようということになったのだ。そんな時「多吉」が病に倒れてしまう・・・しかしお雪には医者に見せるためのお金もない。
必死に村人たちにお金を貸してくれるように懇願するお雪・・・
村人はお雪が人柱になれば弟「多吉」を助けるためのお金を出し合うという・・・
自分の命を絶ってでも弟の命を助けたい・・・そんなお雪はとうとう人柱となって巴波川の激流の中へ身を沈めたのだ。
やがて巴波川の氾濫はおさまったが村人たちはお雪との約束を守ろうとしなかった・・・
しかしただひとり「鶴松」という男はお雪との約束を守り続けた。
鶴松はお雪をだれよりも好いていたのだ。
さて、お雪が人柱になって間もなくこの村に異変が起き始めた・・・
この村に子供が産まれなくなり、とうとう村中から子供の泣き声が消えてしまったのだ。
このため巴波川にかかる橋はいつしか「子無橋」(こないばし)と呼ばれるようになっていた・・・・
それから十年経ったある夜鶴松の夢枕にお雪が現れ「自分は人柱になったが、龍神は優しく自分を迎入れそして龍神の嫁となった。村に子供が産まれないのは私の怨み・・・」とうち明ける。
しかし、十年の月日が怨みを消したのでこれから子供が産まれるでしょう・・・と言って夢枕から消えていった。
果たして村のあちこちから子供の泣き声が・・・
鶴松にこの話を聞いた村人たちは自分たちの愚かさを知り108つの灯籠を巴波川に流しお雪の霊を慰めることに。
すると巴波川から龍神が現れ天高く飛び去っていったのだ・・・
以来この村では毎年8月6日には108つの灯籠を流しお雪の供養をする習わしとなった・・・

この行事は今でも続けられ栃木市では毎年8月6日には108つの灯籠を巴波川に流したくさんの人々がお雪の霊を慰めに集まって来ます。
また、子供の泣き声が聞こえるようになってから「子無橋」は「幸来橋」(こうらいばし)と名前が変えられ今でも栃木市の巴波川に掛かっています。
*本当に悲しい話ですね!涙が出ました

塚田邸の庭園で記念撮影。立派な庭園です。新緑が綺麗!
石の中から、爽やかなメロディが聞こえる。
山本有三の墓がある「近龍寺」。
山本有三の墓石。
お腹もすいてきたし、いよいよ、昼食に向かいます。皆さん、急に元気になったみたい。
太郎庵での、そば付き豪華弁当
美味しそうですね!
どれから食べようかな?
食事がおわったら、巴波川の「蔵の街遊覧専」で川から街を眺める

遊覧線乗車券です
これには、鯉登り無いですね。
季節が違うのですね。

いよいよ、乗船です。「左右均等に座ってください」と船頭さんの注意
船頭さん、たのんまっせ!
川から見上げる景色も、また良いですね!
鯉登りも一段と華やか!
橋の下からも鯉登りが見える。
餌をやると、どこからともなく鯉が何匹も集まってくる。
下船して記念撮影

これで、2024年新緑を訪ねては終了です。皆さん駅まで約8分歩いて行き、解散しました。
東武電車、栗橋経由で帰るもの、JR、小山経由で帰るもの、車で来た方もいました。
天候も良く、この季節は、沢山の鯉登りが見られて、楽しい一日をありがとうございました。

幹事:大野康昭さん
今年の新緑をたずねては、蔵の街栃木市散策でした。女性6名、男性4名、ガイドさんの案内で、塚田蔵屋敷跡、山本有三記念館の見学、昼食を挟んで、巴波川遊覧船乗船のコース、当日は、天候に恵まれ素晴らしい小旅行となりました。太郎庵さんのランチは、蔵の中に席を設けていただき、安くて、おいしかった。

幹事:真渓佐智子さん
初めて栃木散策楽しみに行きました。川まで案内されたから行けましたがもう一回行けるかしらとちょっと駅前では有りませんでした。塚田蔵屋敷は中に入りましたが、中に座っているお婆さんが実はロボットで弾き語りで三味線まで弾いているのにはびっくり、もっと驚いたのは隣に振り返っている中年の男性、実はこれもロボットだったのには本当にびっくりさせられました。見ものでした、ランチが別のクラの中でこれが1500円と言う安値なのにどれを食べてもとても美味しかったてわさ。何でも栃木のランチはどこへ入っても美味しいらしいですね。楽しい1日でした。

                                      以上

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盛大にカラオケパーティ(カラオケ同好会)

投稿 大野康昭  HP編集 中村一彦

今回、4月11日(木)LSCカラオケ同好会(リーダー新井新冶)は、大宮公園駅近くのカラオケスナックウインクでの開催です。以前は、大宮カラオケ店でやっていたのですがカラオケスナックは、ステージもあり、飲食物も持ち込み可能で長時間貸し切りでできるので盛り上がります、
私共カラオケパーティーも、今年1月の新年会から皮籠石さんんも加わり、更に新会員の野田さんも
奥様とご一緒に参加されたりと盛り上がってきました。更に田中副理事長の女性のお友達(シャンソン歌手)も参加され、お上手な方が増えレベルが高くなりました。これからも新井リーダーのもと、
回数を増やしていきたいと考えています。

左から、新会員 野田さんご夫婦、 峯尾さん
左から副理事長田中さん、宮下さん、田中さんの友人、シャンソン歌手の大津さん。

大野さん、ご自慢の「旅の終わりに(冠 二郎)」を得意に歌う・・・楽しそう!

熱唱する大津さん(田中さんの友人でシャンソン歌手)美川憲一のシャンソン「生きる」とカンツオーネ「愛は限りなく」・・・・。 大津さんは、6月28日に与野にある「彩の国さいたま芸術劇場」小ホールで、シャンソン、カンツォーネを歌われるそうです。(入場無料です)
左から大野さん、田中さん、
宮下さん(ちょっと陰になってますが)
新井さん、皮籠石さん
左から田中さん、宮下さん皮籠石さん、新井さん

新しい方も参加され、カラオケも益々盛んになってきました。
カラオケの声自慢、懇親にぜひご参加下さい。
               (カラオケ同好会リーダー 新井新冶)

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ロングステイクラブ新年会鬼怒川温泉の旅 

投稿 皮籠石成久 HP編集 中村一彦

皆様お疲れ様でした。今回は7名だけの新年会でしたが、なんだかぽっこりした楽しいもので今、関東平野を夕日をチラチラみながら帰途に着いています。
峯尾さんが帰った後とんだお笑いの事が起こりました。電車に乗って終点に着いたと喜んだら何とまた東武日光駅でした。東武日光駅を出てまた同じ場所に帰ってきたのです。全員のぼんやりミスで慌てふためきタクシーで鬼怒川ホテルへ。一人2,500円の2台に分乗しフルスピードで走ってもらい、無事時間内に間に合い、今こうして帰りの送迎バスに乗っています。飛行機でなくてよかったです。

 昨夜は、特別室でグループの会席料理、その後のカラオケがまた素晴らしいものでした。王座を死守していた田中さんのライバル皮籠石さんが登場、情感たっぷりに、歌いこみ、田中さんと甲乙つかない歌いぷりでした。私は初めて宮下さんの歌を聴いてすっかり虜になりました。上手なんですね。峯尾さんはセーラー服が何とかと私の全く知らない歌を堂々と歌い歳の差を感じました。大野さんは静かに歌い込みこれもまた素敵でした。私はオンチもあり歌わないことにしていたのですが皆に引っ張られ歌ってみたら結構楽しいんですね。凝りそうな気配。こんな1泊の新年会。人数が少なかったのがちょっと残念でしたが、充実したこぢんまりした会でした。幹事の宮下さんは、さすがに手馴れていて最後助けられました。お疲れ様でした。皆様、新都心に着いた後も気をつけてお帰りください。
(幹事 マタ二)

・マタニさん、旅のアレンジありがとうございました。皆さん個性豊かな方で、大いに楽しめた新年会でした。伊藤園3時間カラオケは、初めてで感動しました。今晩は、ゆっくりお休みください。
(幹事 宮下)

・今回、初めて参加させていただきました。伊藤園ホテルさくらではカラオケデビュー。控えめに5曲歌わせてもらいました。日光の水羊羹の店まで歩かせてしまい申し訳ないと思っています。幹事の真渓さん、宮下さんには大変お世話になりました。次の企画にも参加し楽しい時間を共有したいと思います。(皮籠石)

・買ってきた水羊羹を食べながら楽しかった新年会旅行の余韻にふけっているところです。真渓さん、宮下さんお世話になりました。初参加の皮籠石さん、原さんも盛り上げていただきありがとうございます。(大野)

・真渓さん、宮下さん大変楽しい新年会の企画・運営、有難う御座いました。ハプニングがあったんですね。(峯尾)

・お疲れ様でした。ありがとうございました。思い出に残る旅でした。集合写真おくります。(田中)

・幹事の真渓さん、宮下さんお世話様でした。家路に着きました。皆様有り難うございました。(原)

伊藤園ホテル「ニューさくら」前にて!
宴会場にて夕食
満願の笑み
カラオケ大会
下今市駅から男体山を望む
東武日光駅前
日光東照宮入り口 神橋
神橋前で記念撮影
絵手紙 水羊羹 (皮籠石さん作品)

今回の参加者

幹事:真渓さん、宮下さん
大野さん、峯尾さん、田中さん、原さん、皮籠石
天候にも恵まれ、往復の伊藤園送迎バスで快適。鉄道を利用しての
鬼怒川温泉駅から東武日光駅、途中トラブル発生するも小さな旅を満喫してきました。
                                 皮籠石 成久

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LSC 久し振りの台北旅行

投     稿 (文/構成)大野康昭    :   (写  真)田中靖人、中村一彦 
HP編集 中村一彦

 コロナウイルス感染症の終息新型コロナウイルス明け(2023年5月8日の新型コロナウイルスの感染症法5類に移行)の昨年12月にLSC海外旅行として3泊4日の台湾台北旅行を実施したので、旅行紀として纏めます。過去4年にわたり新型コロナウィルス感染対策により、自粛を強いられてきた海外旅行をLSCとして再開を決めたのは昨年8月でした。行き先は台湾にしたのは会員の希望もありましたが、やはり距離的に近い台湾が観光受け入れを再開していたこと、さらに旧会員だった西田学氏が台北にお住まいになって協力が得られること、さらに多くの会員が複数回の台湾旅行経験があり馴染みがあることなどが原因でした。

LSCの海外旅行として今回は旅行業者のパッケージツアーを利用いたしました。旅行社はHISでした。3泊4日すべて自由行動のものを選び、宿泊とフライトと空港からホテルまでの送迎のみを利用し、台北および台北近郊の観光は私たちで計画し、参加人数が16名と多かったため、台北市近郊の観光は2つのグループに分けました。申し込んだ旅行社の日程は3泊4日で初日は台北桃園空港に3時到着、最終日は桃園空港、朝6時40分の便で帰国となっていました。実質は二日半の自由行動の時間があるだけでした。したがって初日の12月11日はホテル夕方到着後、夕食も含めて夜市見学、12日の日は西田さんの案内で市内観光、夜全員で宴会を兼ねた夕食、13日の日は台北郊外観光でグループを二つに分け1つが十份天燈上げと平渓線の旅、2つ目は淡水と北投温泉観光として各自好きなほうを選択してもらうことになりました。

以下写真を中心に参加者皆さんの様子を中心に纏め、後参加者の感想などを報告し今後のLSC海外旅行企画に生かしていきたいと思います。

成田空港、搭乗直前の参加者の笑顔

12月11日出発のフライト便は、成田発11時45分のスクートTR899,集合時間は第一ターミナル南ウィング4階のチェックインカウンター、朝早いのでなかなか大変でした。鹿児島から2名の参加がありましたので、お二人は前日に東京でお泊りになっての出発でしたので更に大変だったでしょう。全員無事集合され出国手続きを済ませました。

 往復とも SCOOT に搭乗

行機は満席で少し遅れて飛び立ち、台湾時間午後3時ごろ桃園空港に到着いたしました。

桃園空港で入国手続き。これでいいのか?
ガイドさんから台北紹介受けながら、ホテルに向かう
中山北路のホテル(グリーンワールド山水閣)に到着

最初はホテル到着後全員で夜市(寧夏夜市)見学して、そこで夕食も食べる予定でしたが人数が多いので、もう一つべつのグループに分け台北市内で有名な小籠包の店で夕食をとることになりました。夜市のほうは、徒歩でホテルから15分というので徒歩で向いましたが、なかなか見つからず到着までに時間がかかってしまいました。

寧夏夜市の雰囲気屋台、屋台、屋台、人、人、人

市ではではいろいろな屋台がでて地元の人はそこで食べていたが、私たちは通りに面したレストランで夕食となった。

寧夏夜市のレストランで夕食
 
歩き疲れて一休み
団子もイイネ!

もう一方のグループは東門にある小籠包の店(鼎泰豊)での夕食となりました。

12日 西田さんの案内で台北市内見学と夜、全員による晩餐会パーティー。

西田さんの案内で晴光市場に

銀行で両替

全員による晩餐会パーティー

パーティ会場の海鮮料理屋
峯尾さんご夫妻も到着!
宮下リーダーの音頭で乾杯!!

西田さんスピーチ

◆13日 平渓線グループ

十份の天燈上げ
平渓線車中で!
 十份にて、我々も皆の願いを込めて天燈上げ
十分駅
お土産も買ったし!

◆淡水、北投温泉グループ

淡水にて
清国英国領事館
北投温泉地熱谷池
台北に戻り、梅子餐廰にて夕食
14日早朝 帰国のため空港へ ホテル前全員で記念撮影
台湾よサヨウナラ、また来るからね!(朝日を受ける桃園上空より)

参加者感想

最後に箇条書きで、今後の参考のため参加者から得た感想とご意見を記載してLSC台湾旅行の総括とさせていただきます。(大野理事長)
*パック旅行と違いいろいろな場面に出くわし楽しかった
*旅行業者への支払いその他の費用も含め10万円以内で収まったのはよかった
*折角の海外旅行なのでもう少し日程があればよかった
*高齢者が多いので、費用のレベルアップを考えたほうが良い
*フリータイムの旅行は各人がリーダーに頼るのではなく
各人が事前に行き先などを調べて勉強しておく必要がある。
*グループ分けは必要だが、食事コース、観光コースなどアイテムを変えて分けるのもどうか
*淡水グループでは北投温泉が良かった
*台湾の旅楽しかった、また企画してください
以上

                                   

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ミャンマー奮闘記(第2報)

投稿(文、写真) 谷口良雄さん HP編集 中村一彦

谷口さんは昨年4月にミャンマーの日本語学校に招聘され、5月には渡航されました。
第一報は昨年8月に掲載されましたが、今回は第二報です。
内戦状態にあるミャンマーでのご活躍はご苦労があるかと思いますが、日本語教師として、信頼される立場に有り、日本での就職を希望するする生徒さん達の教育に日々専念されています。ミャンマーの現場から奮闘記(2)をお送り致します。

ミャンマーの気候
ミャンマーから日本に行った元学生から「日本はとても寒い」という声を聞きます。ヤンゴンにいる学生も、朝晩は「寒い」と言います。今は乾季で雨はほとんど降らず、昼間は毎日30〜33℃の晴れ間が多いです。陽射しは強くて暑いです。でも朝夕は涼しくて、日本の秋の季節のようです。

昨日は「介護クラス」の卒業イベントが教室で行われました
学生たちが企画して、お金を出して私たちを招待してくれます。
卒業後、多くの人は故郷に帰って、ミャンマー政府の出国許可と、日本政府(入管)からの入国許可を待ちます。しかし、数カ所の故郷では「政情不安」のため、帰ることが出来ないところもあります。
道路が寸断されている。通行禁止になっている等です。
数人の家族は、街全体が内戦状態(国軍と民主派勢力との戦闘)で、住民の全てが避難してしまったとの事です。森の中で、ボランティアの支援(衣類、食料など)を受けてテント生活の家族も居るようです。
今は、自宅がどうなっているのか分からないので、帰宅できないといいます(国軍が占領中かも)
そのため、ヤンゴン市内に友達と部屋をかりたり親戚や友人にお世話になったりします。
お寺に寝泊まりする人や、日本に行くまでの間アルバイトをする人もいます。
日本語学校に限らず、韓国語学校や英語学校には大学や高校をやめた学生がかなりいます。
彼らは、現政権反対の意思表示の一つとして、「不服従運動」に賛同し、大学、大学院、高校を中退した若者は多いようです。
民主派の統計では、大学生の80%が登校拒否(その殆どは自主退学)してるそうです。
そんな政情の中で行われた日本語学校「卒業イベント」ですから、若さの爆発というか秘めたエンルギーがほとばしった会になりました。
あこがれの地、日本!に無事行ける日が来る事を心の中で願うしかありません。

介護クラスの卒業イベント

右、前から三番目に谷口先生がいます。

↓下記の画面をクリックして下さい。動画がみられます。

道路の穴は、もう半年以上補修されないまま。ヤンゴン市内至る所に・・・・
ここを夜バイクや自転車に乗った人はどうなるのでしょう?

朝7時頃、お坊さんに食べ物を差し上げるボランティアの少年達。
彼らは裸足が多い。
殆どの人は普段サンダル履きです。(私も)

比較的治安がいい、ヤンゴンの
ローカルの朝、美しいですね!

学校を卒業して、これから日本に向く日の朝。老人介護施設の介護士、ラーメン屋の店、、室内デコレーション などの仕事で。

今も、ミャンマー各地で 国軍と、それに反対する少数民族の武装組織(大学中退者が多く加入している、とされている)が衝突を繰り返す地域(✖️印)。  日本外務省では「渡航しないこと」と警告している地域。。

私が勤める日本語学校には日本に行って、介護士として働くための「介護クラス」があります。そのクラスの学生に作文(何を書くかは自由)を書いてもらいました。日本語学習歴はまだ 半年〜10ヶ月程度なので、内容的に深い文章ではありませんが・・・・・。
ミャンマーの若者らの生の声を知っていただきたいと思い、ここに紹介いたします。

題名………「私の故郷」
私のふるさとは小さくて静かな村です。お祭りがたくさんあります。
たいてい、宗教的なお祭りが多いです。その中でクリスマスが一番楽しいです。昔はクリスマスになると、夜、実家に帰って歌いました。しかし、今は政治によって 歌を唄うことが禁止になりました。
正月にはいろいろなスポーツをします。その中で、サッカーが大好きで楽しいです。お祭りには友だちと集まって、ビールやジュースを飲んだり、いろいろな物を食べます。
村人の多くは農業です。また、女の人の多くはお酒を作っています。
米で作るお酒です。そのお酒は私たちの伝統的なものです。
私の村に住む人たちは親切で、困ったときは手伝ってくれます。
村には山や川があり、川では釣りが出来ます。私たちばかりじゃなく、
ほかの村の人たちも来て釣りをします。村の周りに田んぼがあります。苗を雨季に植えるので村の周辺はもっときれいになります。 (女性 27歳)

題名………「願い」
政治の状況が悪くなって、まもなく3年にります。 ミャンマー国内のどこでも戦争のことを聞きます。私の街にも戦争があります。戦争のせいでたくさんの家が壊され、大勢の人が死にました。多くの人たちは自分の街に住めませんから、ほかの村や町に引っ越しました。私の家族もその中の一つです。
家族は今、田舎に引っ越しして いろいろな苦しみに直面しています。
電気も無いし、インターネットもありません。交通機関はとても悪いです。
私は今、便利なヤンゴン市にいますが、家族に聞きたいです。
「今、何をしていますか」「元気ですか、食事はどうしていますか」
「今、冬ですから寒いでしょう?」
私は故郷に帰りたいですが、帰れないので家がとても恋しいです。
故郷の家が壊されているのかどうか、状況を知りたいです。
かっては、賑やかで美しい村が恋しいです。家族の悪い状況が終わって、自分の家に帰り、のんびりと休みたいです。家族に会いたいです。もし、いつか自分たちの家に帰ったら、家族と美味しいものを食べたり、おしゃべりをしたいです。家族と一緒に楽しく温かく過ごしたいです。
今の状況が早く終わるように願います。 (20代、女性)

*注)「私の故郷」の作文の中で、
「歌が禁止になった」というのは「政治的な歌は禁止になった」の意味だと思われます。(谷口)

                                       以上

*この投稿を読まれて、感想文が来てますので、ご紹介致します。
お忙しい中で谷口さんの紀行文をUPしていただき、ありがとうございました。写真で見ると、学生たちは明るい顔をしていますが、作文を拝見すると皆さんが大変なご苦労をされていることがわかります。家族のところに行く事も出来ない、家がまだあるのか、家族は無事なのかさえも不明、ということは大変な心痛と感じます。皆さんが無事に日本にきて、生活が安定して、家族に仕送りをして家族が平穏に暮らせることを祈るばかりです。どうもありがとうございました。(宮田敬生)

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スペイン語プチ留学inバレンシア

投稿(文、写真) 小島裕子   HP編集 中村一彦

(スペイン語を現地で勉強してみたいなぁ)との思いが高じ、10月24日から12月6日までの約1ヶ月半、スペインのバレンシアに滞在し、スペイン語の語学学校に通う傍ら現地の生活を楽しみました。
ネットで語学学校の手続きしアパートを探し航空券を予約して、さあ出発!
今回バレンシアを選んだ理由はスペインにしては比較的安全な都市で地中海に面し気候が温暖、食べ物が美味しい、などが主な理由でした。

【バレンシアの街】

バレンシアの観光場所はほとんど徒歩圏内。美しい建築物を眺めながら散策し、美術館を巡り、ヨーロッパ最大級の規模を誇るバレンシア中央市場でスペインの食材の豊富さに目を見張り、レトロな切符売り場のある駅(タイルが敷き詰められた天井は一見の価値あり)に寄り旅人たちを眺める。カーブが美しい闘牛場で美しいマタドールの姿を想像し、海に足を延ばして潮風に吹かれ、カフェでくつろぎバルやレストランで美食に舌鼓を打ちワインに酔いしれ・・・・・・

市内の美しい街並み
闘牛場。今はお祭りの時だけ開催
バレンシア美術館
地中海に面した長く続く浜辺

バレンシアはスペイン第三の都市。比較的治安が良く、人々はとても親切。街にはオレンジの並木道があちらこちらにあり、路地に入ると下町のような雰囲気が感じられます。マドリードから引っ越してきた語学学校の先生は「この街の住人はお喋りとおせっかいが過ぎるんだよね」と言っていましたが、確かにバスの中は賑やかで、私も隣り合った地元の(年配の)人によく話しかけられました。みんな私のスペイン語力などお構いなしでペラペラ一方的に喋っていましたが、なんだか楽しく愉快な時間でした。

夕暮れ時の街、とても美しい!
ストリートミュージシャン

語学学校
語学学校は街の中心にある歴史ある建物。建物の内部は古い壁の一部を残しつつとてもモダンな造りになっていました。

学校の外観
学校のエントランス

スペインに行く前に学校から送られてきたペーパー試験は受けていたので、初日はレベルチェックのための面接を受け、すぐに私のレベルに適したクラスを指示されました。
私は午後1時から6時までの3クラスのコースを選びました。1時間のプライベートレッスンと1時間40分の授業が2コマ。

私のクラスはヨーロッパの学生4人、アジアが3人でした。驚いたのは誰も辞書らしきものを持って来ていない。スマホでピッピと調べている。今ってそうなの・・?ちょっと浦島太郎気分でした。どのクラスも学生は7~8人とアットホームな雰囲気で、先生たちの教え方も熱心で丁寧で、学生一人一人に目を配ってくれていることが分かりました。

プライベートレッスンでは先生が私に合ったプログラムを考えてくれ、一時間があっという間に過ぎてしまう楽しいレッスンでした。

先生たちと、     Dina
          Maria
          Erena
          Alberto

日々の生活

アパートは学校から徒歩5分のところにあり通学に便利でした。小さなベランダのついた住み心地の良いアパートで、時々大家さんが来て困っていることはないかと気にかけてくれました。

近くにバレンシア中央市場があったので食料はほぼそこで調達。新鮮な野菜や魚介類、豊富なお惣菜類、生ハムなどなど食材には困りませんでした。とにかく中が広くお店は300軒以上あるので、どこに何があるかを把握するだけでも時間がかかり、最初のころはよく迷いました。

居心地のよい部屋
ベランダでお茶を飲んだり勉強したり
バレンシア中央市場
市場の内部はとにかく広い!

授業は午後からだったので午前中を予習復習に充て、ランチは家の近所や学校の近くの居心地の良いカフェでとりました。行きつけのカフェが4軒でき、1軒のカフェのお姉さんとは特に親しくなり、私がスペイン語を間違えると明るく訂正してくれました。

クラスが終わると午後6時。家にまっすぐ帰りにくい時間です(笑)。クラスの仲間や学校で知り合った友達とはよくバルやレストランに行きスペイン料理やワインを楽しみました。不思議なもので、年齢は関係なく食いしん坊には食いしん坊が寄ってくるようです。みんなそれぞれお気に入りのお店があり、誘い合って食事を楽しみました。

バルにて、生ハムは最高!
アグアバレンシア、以外と強いカクテル
スイス人の友達の誕生日を和食のお店で祝う!
火鍋、アジアの仲間達と

12月に入ると街は一斉にクリスマス仕様に。12月1日には広場のクリスマスツリーの点灯式があり私もクラスの仲間と見に行きました。花火がバンバン上がり、そこに集まった人たちと共に『さあ、クリスマスシーズンの始まりだ!』という高揚感を味わいました。

広場の巨大なクリスマスツリー
クリスマスオブジェ
街はクリスマスムード全開
大家さんちのクリスマスパーティ-

帰国が近づくと、大家さんがお別れ会を兼ねたクリスマスパーティーに招待してくれ、学校の仲間もお別れ会を開いてくれました。

バレンシアでの一ヶ月半は「楽しい経験」としか言いようがなく、あっという間に過ぎてゆき、沢山の思い出を抱えて街に別れを告げました。

夕暮れのバレンシア空港から帰国の途に 
ありがとうバレンシア! さよならバレンシア、またね!
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🍜新そば試食会

10月17日、猛暑もなりを潜め、秋らしさを感じる心地よい日、JR予の本町駅に集合、与野本町コミュニティセンターで新蕎そば試食会が開催されました。(これは、そば打ち名人会「鈴屋」の皆さんと、LSCのCollaborationで行われました)

足取りも軽く、楽しみにコミュニティセンターに向かうLSCメンバー

早速試食の準備をする鈴屋の皆さん 「火力が弱い」と心配されてました。

LSCは、エビ天などを購入して持参、仕分け、盛り付けに忙しい。

おそばを口にする前に、参加者全員の集合写真を撮りましょう! (楽しみがと緊張感があるうちに)

火力が弱いからねーもう少し待ってネ!   正確に時間計ってる。皆真剣な目つき・・・・・・・

やっとありつけた。コップを満たして居るのは、色は同じでも残念ながらビールではありません。 「お茶」です。 公共施設でお酒は禁止、残念な方も(沢山)居るでしょうね。

新そばは美味しいネ!  終わったら、ちゃんと皿洗いして、かたづける。田中さん手つきが良いわ!

これから自己紹介をいたします~。 

自己紹介で、日本舞踊を熱心に説明する踊りの師匠、工藤さん
お世話になったそば打ち名人、鈴屋メンバ-、プロ級ですね・・・

鈴屋のみなさん。本日はありがとうございました。お陰様で、美味しい新そはをいただく事ができました。(大野理事長&参加者

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「栗拾いイベント」と「中山道上尾宿のガイド」

投稿 皮籠石成久(文、写真)、宮田敬生(文)、奧村紀美江(文)、中村一彦(写真、HP編集) 

この度、主幹事 宮田敬生さんと
幹事 宮下 弘さん、のおとりはからいで、初めての「栗拾い」と「中山道上尾宿ガイド」が実現致しました。

上尾駅に9:30集合
宮田さん(上尾市公認ガイド)の説明で楽しい一日が始まる。

巻頭言 宮田 敬生

8月31日(木)に、ロングステイクラブ(以下LSC)」の19名の方々で栗拾いを楽しみました。高崎線上尾駅に集合し、あげおアッピーガイドの会の宮田(LSC会員)からの、中山道上尾宿のガイドを1時間聞いて頂きました。酷暑なので短縮版のガイドです。

江戸時代初期に開設された上尾宿の役割、上尾と忠臣蔵との関わり、中山道を歩いた有名人(小林一茶、太田蜀山人等)の上尾宿に関する紀行文等を紹介しました。

のち上尾氷川鍬神社に移動して、あげお語り部の会とガイド会に在籍する金子信造さんから民話の語りとして鍬大神宮(上尾氷川鍬神社)の成立にまつわる、三人の童子と鍬おどりの

話をゆったりと楽しく聞かせて頂きました。昔話というものは味があって良いものです。

お次は屋根の上の鍾馗様。玄宗皇帝の夢に現れ苦しめた妖怪を退治した話をする。

最後は井上脇本陣の鬼瓦の前で、大名の参勤交代に宿泊した本陣、脇本陣、および皇女和宮下向等の紹介をしました。

上尾市に住んでいる方も何人かいらっしゃいますが、知らない話が多く、楽しめた、との感想を頂きました。

約1時間のガイド終了後は車4台に分乗して伊奈町の栗畑に向かいました。

皆さんは童心に帰って一心不乱に栗のイガを運動靴で踏み、竹棒で栗を掻き出す作業

に没頭していました。栗拾いは40年ぶり、とか生まれて初めて、という方も多く、

新鮮な体験を楽しく過ごせたようです。

30分ほどで皆さんは1~2kgほどの栗を収穫でき、満足感の充実した疲労感で一杯でした。

普通の栗の収穫期より1ヶ月以上も早く8月末に収穫でき、しかも大きい粒の栗なので、

皆さん驚いていらっしゃいました。

持ち帰った栗は早速栗ご飯等で賞味して頂いたようです。

「自分で拾った栗なので、また格別に美味しかったです。」との感想もいただきました。

来年もぜひやろう!という声も多く、定例行事になりそうです。

その後は台湾料理屋に場所を移して、食事とおしゃべりで、楽しい一日を過ごしました。

上尾駅近くの上尾氷川鍬神社にお参り
上尾氷川鍬神社由来の境内で記念撮影
上尾氷川鍬神社由来の説明
上尾氷川鍬神社の絵馬
境内にある「願い石」
災害から守る鍾馗様
井上脇本陣の鬼瓦
鬼瓦を囲んで集合写真
皮籠石成久さんの絵手紙作品 、 素晴らしい!
さあ、いよいよ栗拾いだ! 正面の森が宮田農園
たわわに実った早生栗
イガイガを割って、栗の実をだすんだよ!
皆さん熱心に栗拾い

感想文 奧村 紀美江

私としては、初めてのイベント参加でした。上尾という街には初めて行きましたが、宿場町の面影が残っていて、歴史ある街だということがわかりました。 栗拾いも初めてでした。大きな栗がたくさん取れてびっくりしました。イガから栗をどう取るのか知らなかったのですが、意外と簡単に取れてびっくりしました。

お食事も安くて美味しくてお腹いっぱい食べました。少しだけ皆さんの名前も覚えられました。また、9月からは仕事のため、なかなか参加できませんが、ホームページなどでイベントの様子を見られのを楽しみにしています。

      この辺に沢山あるよ。
まだ、あるかな?
大収穫! これで、自宅へも大いばりで帰れる! 

栗拾いも終わって、宮田さん推奨の台湾料理店「興福順」に車で移動

皆さんん、「美味しく、ボリュームもあって、値段も安い」と讃頌!

お礼の言葉 
皮籠石 成久 
今回の上尾宿散策、宮田農園での栗拾いは、体験的な活動だったと思います。宮田さんの説明や上尾氷川鍬神社の語り部の金子さんのお話など小学生や中学生にも聞かせたいと感じたのは私だけではなかったのでは・・・。

栗拾いは童心にかえり、夢中で栗のいがを足で剥きたくさん採ることができました。昼食会場も中華料理店を予約して頂いた宮田さんに感謝申し上げます。お陰で、ロングステイクラブの参加者が気持ちよく食事をすることができました。

今回は、宮田さんなくしては実現できないフイルドワークでした。担当幹事の方含めてお礼申し上げます。

追伸

中村一彦
今回、同一行事に、3人の方から投稿があったのは初めてで、嬉しい悲鳴でした。が、編集に当たり、適切なアレンジができたか自信がありません。投稿した方々には意に沿わない部分もあったかと思いますが、ご容赦下さい

ロングステイクラブ上尾中山道

『トムラウシ山に登ってきました』

投稿 奧村紀美江 HP編集 中村一彦

トムラウシ山は、大雪山系の一番南にある,標高2,141mの山で、日本百名山のうちの一つです。大雪山のほうから縦走することもできますが、今回は往復12時間のピストンで登ってきました。Y社主催のツアー登山です。

7月30日日曜日 天候は曇り。風が強く雷雨も予想される予報だったので、早めの出発、ということで午前3時半、短縮登山口出発です。

しばらくは、樹林帯の中を進みます。

突然、岩場に出ました。ここは、ナキウサギがいるところ。静かにじっと待っていると出てくるのですが、余裕がないので、先に進みます。ただ、チチチという、鳥の鳴き声のような声がよく聞こえていました。

しばらく行くと、日本庭園のような場所へ。トムラウシ公園です

                                              高山植物が咲き乱れるお花畑

向こうに見える雪渓を、小熊が滑り落ちるのが見えました。(残念ながら熊の写真はなし)

風が強くなり、たまに雨も降り始めました。そんな中をひたすら登ります。

午前10時半。ついに登頂。残念ながら展望はありません。

同じ道を帰ります。午後4時。全員無事に下山しました。

その日はトムラウシ温泉で汗を流し、宿へ。

31日は、もう帰る日。 宿泊した「とむら交流館」の皆さんが、とても明るく、素朴なお料理も美味しかったです。これは、鹿肉のサンドイッチ。


ロングステイクラブ上尾中山道

ミャンマー奮闘記(1) 

投稿:谷口良雄  編集:中村一彦 

私がミャンマーに行くきっかけになったのは、LSCの中村さんからのお話でした。「知り合いが、ミャンマーでの日本教師を募集しているがどうか」ということでした。

私は「この歳(年寄り)で採用されるのは無理でしょう」と懸念を表しましたが、年齢は関係なさそう、とのことでした。周りからは「ミャンマーって政情不安で危ないんでしょう?」とか,「そんなところに行くのはやめたら?」とか、子どもからは「何があってもミャンマーには行かないからね」などと言われました。

私は、軍事政権下の民衆の生活に関心があったのと、単なる好奇心、野次馬根性のせいで、それほど心配はしませんでした。そして、ミャンマー側とのzoom面接を終え、書類を提出し、結果的に517日にヤンゴン空港に降り立ちました。

東京からミャンマーまでは、
約4000Km
5月17日成田空港9:15発タイエアーアジア航空(エアバスA330型に登上して、ミャンマーに向かう。タイ・スアンナプーム空港でヤンゴン行きに乗換
ミャンマーのヤンゴン空港に着いた時はホットしましたが、出迎えるはずの社長の姿は見えず、焦りましたが、5分ほど待たされてロンジン姿で、現れました。

ミャンマーはラオス、タイ、タイ、バングラディシュ等と接しています。

ヤンゴン空港では、私が赴任する学校の日本語研修を終えた技能実習生が、これから飛行機で日本に行こうとする場面に出くわしました。

4人の青年は北海道の大手自動車メーカーの工場で働くということです。

私を迎えに来た社長と共に、彼らとは握手と励ましの言葉を交わして見送りました。

車から見る初めてのヤンゴン市内は、道路の舗装状態、道路際の個人商店、街を歩く人の服装,雰囲気などは日本の地方都市の昭和30〜40年代を想わせるものでした。

違うのは、民族衣装(ロンジー)をつけた人や、僧侶、そしてサイドカー(バイクにリヤカーを取り付けたような3輪タクシー)が目立つことでした。

また、街中の広告や店の表示はミャンマー語の丸っこい文字ばかりでさっぱりわかりません。

夕方、学校に到着すると早速 事務所のスタッフと日本語教師の全員の紹介がありました。

そして、校内の食堂や教室を確認してから私が住む部屋を案内して貰いました。

建物の2階が学生の寮で、私の部屋は一階です。

私の部屋のすぐ隣はなんと!教室でした。

さらに、部屋への出入りには教室を通らなければならないのです。

翌日以降、学生たちが教室にいる時間に自分の部屋へ(から)出入りする羽目になってしまいました。

部屋はおよそ10畳大の1部屋で、ベッドとスチール製の棚があるだけです。

机も椅子もないので、教室にある物を一式自分で勝手に移動しました。

トイレとシャワー室が部屋とは別にあるのですが、排水管が壊れていて水は出ません。

直すようお願いしましたが、構造上回復は不可能という事でした。

では、シャワーはどうするのか⁉️

寮のすぐ隣に大きなドラム缶が置いてあって、水道水をその中に溜めます。浴槽などという贅沢なものは夢のようです。

学生たちや私は、ドラム缶の水を洗面器ですくって頭から浴びます。お湯じゃなく、水を浴びる生活は私の記憶にある限りでは初めての体験です。シャワーを浴びるときは このドラム缶に溜めた水を使います。お湯はありません

初めは全身に水浴びは冷たくて出来ませんでしたが、いつまでもそんなことはしていられません。2日目にはもう、慣れるしかありませんでした。

洗濯物もこの場で洗います。

学生たちはコンクリートの床の上に衣服を拡げてブラシでコシゴシ洗います。そんな洗い方では生地が傷むのでは!と、心配な私。彼らは人前で全裸になることはしません。必ずパンツかロンジー(ミャンマー特有の巻きスカートのようなもの)を穿いた(着けた)まま身体を洗います。

私のシンプルな部屋。

ヤンゴン空港から車で学校に向かう途中の街の風景
週末の土曜日の夜、近くの広場でダンスを楽しむ学生たち。私も一度だけ輪に加わりました。
ヤンゴン市内を走る、日本の旧国鉄時代と思われる電車車両。ドアは開けっぱなしで走ります。
行き先表示は なんと「快速岐阜行き」のままでした!
青い看板がある建物は校舎の一部です。

学校の授業風景

ホワイトオードの漢字は「漢字しりとりゲーム」です。
学校のスタッフと日本語教師の飲み会です。

ミャンマーは暑いです。停電も多く、クーラーが動かないと猛暑です。
ミャンマー奮闘記(2)をお楽しみに!!