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ミャンマー奮闘記(第2報)

投稿(文、写真) 谷口良雄さん HP編集 中村一彦

谷口さんは昨年4月にミャンマーの日本語学校に招聘され、5月には渡航されました。
第一報は昨年8月に掲載されましたが、今回は第二報です。
内戦状態にあるミャンマーでのご活躍はご苦労があるかと思いますが、日本語教師として、信頼される立場に有り、日本での就職を希望するする生徒さん達の教育に日々専念されています。ミャンマーの現場から奮闘記(2)をお送り致します。

ミャンマーの気候
ミャンマーから日本に行った元学生から「日本はとても寒い」という声を聞きます。ヤンゴンにいる学生も、朝晩は「寒い」と言います。今は乾季で雨はほとんど降らず、昼間は毎日30〜33℃の晴れ間が多いです。陽射しは強くて暑いです。でも朝夕は涼しくて、日本の秋の季節のようです。

昨日は「介護クラス」の卒業イベントが教室で行われました
学生たちが企画して、お金を出して私たちを招待してくれます。
卒業後、多くの人は故郷に帰って、ミャンマー政府の出国許可と、日本政府(入管)からの入国許可を待ちます。しかし、数カ所の故郷では「政情不安」のため、帰ることが出来ないところもあります。
道路が寸断されている。通行禁止になっている等です。
数人の家族は、街全体が内戦状態(国軍と民主派勢力との戦闘)で、住民の全てが避難してしまったとの事です。森の中で、ボランティアの支援(衣類、食料など)を受けてテント生活の家族も居るようです。
今は、自宅がどうなっているのか分からないので、帰宅できないといいます(国軍が占領中かも)
そのため、ヤンゴン市内に友達と部屋をかりたり親戚や友人にお世話になったりします。
お寺に寝泊まりする人や、日本に行くまでの間アルバイトをする人もいます。
日本語学校に限らず、韓国語学校や英語学校には大学や高校をやめた学生がかなりいます。
彼らは、現政権反対の意思表示の一つとして、「不服従運動」に賛同し、大学、大学院、高校を中退した若者は多いようです。
民主派の統計では、大学生の80%が登校拒否(その殆どは自主退学)してるそうです。
そんな政情の中で行われた日本語学校「卒業イベント」ですから、若さの爆発というか秘めたエンルギーがほとばしった会になりました。
あこがれの地、日本!に無事行ける日が来る事を心の中で願うしかありません。

介護クラスの卒業イベント

右、前から三番目に谷口先生がいます。

↓下記の画面をクリックして下さい。動画がみられます。

道路の穴は、もう半年以上補修されないまま。ヤンゴン市内至る所に・・・・
ここを夜バイクや自転車に乗った人はどうなるのでしょう?

朝7時頃、お坊さんに食べ物を差し上げるボランティアの少年達。
彼らは裸足が多い。
殆どの人は普段サンダル履きです。(私も)

比較的治安がいい、ヤンゴンの
ローカルの朝、美しいですね!

学校を卒業して、これから日本に向く日の朝。老人介護施設の介護士、ラーメン屋の店、、室内デコレーション などの仕事で。

今も、ミャンマー各地で 国軍と、それに反対する少数民族の武装組織(大学中退者が多く加入している、とされている)が衝突を繰り返す地域(✖️印)。  日本外務省では「渡航しないこと」と警告している地域。。

私が勤める日本語学校には日本に行って、介護士として働くための「介護クラス」があります。そのクラスの学生に作文(何を書くかは自由)を書いてもらいました。日本語学習歴はまだ 半年〜10ヶ月程度なので、内容的に深い文章ではありませんが・・・・・。
ミャンマーの若者らの生の声を知っていただきたいと思い、ここに紹介いたします。

題名………「私の故郷」
私のふるさとは小さくて静かな村です。お祭りがたくさんあります。
たいてい、宗教的なお祭りが多いです。その中でクリスマスが一番楽しいです。昔はクリスマスになると、夜、実家に帰って歌いました。しかし、今は政治によって 歌を唄うことが禁止になりました。
正月にはいろいろなスポーツをします。その中で、サッカーが大好きで楽しいです。お祭りには友だちと集まって、ビールやジュースを飲んだり、いろいろな物を食べます。
村人の多くは農業です。また、女の人の多くはお酒を作っています。
米で作るお酒です。そのお酒は私たちの伝統的なものです。
私の村に住む人たちは親切で、困ったときは手伝ってくれます。
村には山や川があり、川では釣りが出来ます。私たちばかりじゃなく、
ほかの村の人たちも来て釣りをします。村の周りに田んぼがあります。苗を雨季に植えるので村の周辺はもっときれいになります。 (女性 27歳)

題名………「願い」
政治の状況が悪くなって、まもなく3年にります。 ミャンマー国内のどこでも戦争のことを聞きます。私の街にも戦争があります。戦争のせいでたくさんの家が壊され、大勢の人が死にました。多くの人たちは自分の街に住めませんから、ほかの村や町に引っ越しました。私の家族もその中の一つです。
家族は今、田舎に引っ越しして いろいろな苦しみに直面しています。
電気も無いし、インターネットもありません。交通機関はとても悪いです。
私は今、便利なヤンゴン市にいますが、家族に聞きたいです。
「今、何をしていますか」「元気ですか、食事はどうしていますか」
「今、冬ですから寒いでしょう?」
私は故郷に帰りたいですが、帰れないので家がとても恋しいです。
故郷の家が壊されているのかどうか、状況を知りたいです。
かっては、賑やかで美しい村が恋しいです。家族の悪い状況が終わって、自分の家に帰り、のんびりと休みたいです。家族に会いたいです。もし、いつか自分たちの家に帰ったら、家族と美味しいものを食べたり、おしゃべりをしたいです。家族と一緒に楽しく温かく過ごしたいです。
今の状況が早く終わるように願います。 (20代、女性)

*注)「私の故郷」の作文の中で、
「歌が禁止になった」というのは「政治的な歌は禁止になった」の意味だと思われます。(谷口)

                                       以上

*この投稿を読まれて、感想文が来てますので、ご紹介致します。
お忙しい中で谷口さんの紀行文をUPしていただき、ありがとうございました。写真で見ると、学生たちは明るい顔をしていますが、作文を拝見すると皆さんが大変なご苦労をされていることがわかります。家族のところに行く事も出来ない、家がまだあるのか、家族は無事なのかさえも不明、ということは大変な心痛と感じます。皆さんが無事に日本にきて、生活が安定して、家族に仕送りをして家族が平穏に暮らせることを祈るばかりです。どうもありがとうございました。(宮田敬生)

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スペイン語プチ留学inバレンシア

投稿(文、写真) 小島裕子   HP編集 中村一彦

(スペイン語を現地で勉強してみたいなぁ)との思いが高じ、10月24日から12月6日までの約1ヶ月半、スペインのバレンシアに滞在し、スペイン語の語学学校に通う傍ら現地の生活を楽しみました。
ネットで語学学校の手続きしアパートを探し航空券を予約して、さあ出発!
今回バレンシアを選んだ理由はスペインにしては比較的安全な都市で地中海に面し気候が温暖、食べ物が美味しい、などが主な理由でした。

【バレンシアの街】

バレンシアの観光場所はほとんど徒歩圏内。美しい建築物を眺めながら散策し、美術館を巡り、ヨーロッパ最大級の規模を誇るバレンシア中央市場でスペインの食材の豊富さに目を見張り、レトロな切符売り場のある駅(タイルが敷き詰められた天井は一見の価値あり)に寄り旅人たちを眺める。カーブが美しい闘牛場で美しいマタドールの姿を想像し、海に足を延ばして潮風に吹かれ、カフェでくつろぎバルやレストランで美食に舌鼓を打ちワインに酔いしれ・・・・・・

市内の美しい街並み
闘牛場。今はお祭りの時だけ開催
バレンシア美術館
地中海に面した長く続く浜辺

バレンシアはスペイン第三の都市。比較的治安が良く、人々はとても親切。街にはオレンジの並木道があちらこちらにあり、路地に入ると下町のような雰囲気が感じられます。マドリードから引っ越してきた語学学校の先生は「この街の住人はお喋りとおせっかいが過ぎるんだよね」と言っていましたが、確かにバスの中は賑やかで、私も隣り合った地元の(年配の)人によく話しかけられました。みんな私のスペイン語力などお構いなしでペラペラ一方的に喋っていましたが、なんだか楽しく愉快な時間でした。

夕暮れ時の街、とても美しい!
ストリートミュージシャン

語学学校
語学学校は街の中心にある歴史ある建物。建物の内部は古い壁の一部を残しつつとてもモダンな造りになっていました。

学校の外観
学校のエントランス

スペインに行く前に学校から送られてきたペーパー試験は受けていたので、初日はレベルチェックのための面接を受け、すぐに私のレベルに適したクラスを指示されました。
私は午後1時から6時までの3クラスのコースを選びました。1時間のプライベートレッスンと1時間40分の授業が2コマ。

私のクラスはヨーロッパの学生4人、アジアが3人でした。驚いたのは誰も辞書らしきものを持って来ていない。スマホでピッピと調べている。今ってそうなの・・?ちょっと浦島太郎気分でした。どのクラスも学生は7~8人とアットホームな雰囲気で、先生たちの教え方も熱心で丁寧で、学生一人一人に目を配ってくれていることが分かりました。

プライベートレッスンでは先生が私に合ったプログラムを考えてくれ、一時間があっという間に過ぎてしまう楽しいレッスンでした。

先生たちと、     Dina
          Maria
          Erena
          Alberto

日々の生活

アパートは学校から徒歩5分のところにあり通学に便利でした。小さなベランダのついた住み心地の良いアパートで、時々大家さんが来て困っていることはないかと気にかけてくれました。

近くにバレンシア中央市場があったので食料はほぼそこで調達。新鮮な野菜や魚介類、豊富なお惣菜類、生ハムなどなど食材には困りませんでした。とにかく中が広くお店は300軒以上あるので、どこに何があるかを把握するだけでも時間がかかり、最初のころはよく迷いました。

居心地のよい部屋
ベランダでお茶を飲んだり勉強したり
バレンシア中央市場
市場の内部はとにかく広い!

授業は午後からだったので午前中を予習復習に充て、ランチは家の近所や学校の近くの居心地の良いカフェでとりました。行きつけのカフェが4軒でき、1軒のカフェのお姉さんとは特に親しくなり、私がスペイン語を間違えると明るく訂正してくれました。

クラスが終わると午後6時。家にまっすぐ帰りにくい時間です(笑)。クラスの仲間や学校で知り合った友達とはよくバルやレストランに行きスペイン料理やワインを楽しみました。不思議なもので、年齢は関係なく食いしん坊には食いしん坊が寄ってくるようです。みんなそれぞれお気に入りのお店があり、誘い合って食事を楽しみました。

バルにて、生ハムは最高!
アグアバレンシア、以外と強いカクテル
スイス人の友達の誕生日を和食のお店で祝う!
火鍋、アジアの仲間達と

12月に入ると街は一斉にクリスマス仕様に。12月1日には広場のクリスマスツリーの点灯式があり私もクラスの仲間と見に行きました。花火がバンバン上がり、そこに集まった人たちと共に『さあ、クリスマスシーズンの始まりだ!』という高揚感を味わいました。

広場の巨大なクリスマスツリー
クリスマスオブジェ
街はクリスマスムード全開
大家さんちのクリスマスパーティ-

帰国が近づくと、大家さんがお別れ会を兼ねたクリスマスパーティーに招待してくれ、学校の仲間もお別れ会を開いてくれました。

バレンシアでの一ヶ月半は「楽しい経験」としか言いようがなく、あっという間に過ぎてゆき、沢山の思い出を抱えて街に別れを告げました。

夕暮れのバレンシア空港から帰国の途に 
ありがとうバレンシア! さよならバレンシア、またね!
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?新そば試食会

10月17日、猛暑もなりを潜め、秋らしさを感じる心地よい日、JR予の本町駅に集合、与野本町コミュニティセンターで新蕎そば試食会が開催されました。(これは、そば打ち名人会「鈴屋」の皆さんと、LSCのCollaborationで行われました)

足取りも軽く、楽しみにコミュニティセンターに向かうLSCメンバー

早速試食の準備をする鈴屋の皆さん 「火力が弱い」と心配されてました。

LSCは、エビ天などを購入して持参、仕分け、盛り付けに忙しい。

おそばを口にする前に、参加者全員の集合写真を撮りましょう! (楽しみがと緊張感があるうちに)

火力が弱いからねーもう少し待ってネ!   正確に時間計ってる。皆真剣な目つき・・・・・・・

やっとありつけた。コップを満たして居るのは、色は同じでも残念ながらビールではありません。 「お茶」です。 公共施設でお酒は禁止、残念な方も(沢山)居るでしょうね。

新そばは美味しいネ!  終わったら、ちゃんと皿洗いして、かたづける。田中さん手つきが良いわ!

これから自己紹介をいたします~。 

自己紹介で、日本舞踊を熱心に説明する踊りの師匠、工藤さん
お世話になったそば打ち名人、鈴屋メンバ-、プロ級ですね・・・

鈴屋のみなさん。本日はありがとうございました。お陰様で、美味しい新そはをいただく事ができました。(大野理事長&参加者

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「栗拾いイベント」と「中山道上尾宿のガイド」

投稿 皮籠石成久(文、写真)、宮田敬生(文)、奧村紀美江(文)、中村一彦(写真、HP編集) 

この度、主幹事 宮田敬生さんと
幹事 宮下 弘さん、のおとりはからいで、初めての「栗拾い」と「中山道上尾宿ガイド」が実現致しました。

上尾駅に9:30集合
宮田さん(上尾市公認ガイド)の説明で楽しい一日が始まる。

巻頭言 宮田 敬生

8月31日(木)に、ロングステイクラブ(以下LSC)」の19名の方々で栗拾いを楽しみました。高崎線上尾駅に集合し、あげおアッピーガイドの会の宮田(LSC会員)からの、中山道上尾宿のガイドを1時間聞いて頂きました。酷暑なので短縮版のガイドです。

江戸時代初期に開設された上尾宿の役割、上尾と忠臣蔵との関わり、中山道を歩いた有名人(小林一茶、太田蜀山人等)の上尾宿に関する紀行文等を紹介しました。

のち上尾氷川鍬神社に移動して、あげお語り部の会とガイド会に在籍する金子信造さんから民話の語りとして鍬大神宮(上尾氷川鍬神社)の成立にまつわる、三人の童子と鍬おどりの

話をゆったりと楽しく聞かせて頂きました。昔話というものは味があって良いものです。

お次は屋根の上の鍾馗様。玄宗皇帝の夢に現れ苦しめた妖怪を退治した話をする。

最後は井上脇本陣の鬼瓦の前で、大名の参勤交代に宿泊した本陣、脇本陣、および皇女和宮下向等の紹介をしました。

上尾市に住んでいる方も何人かいらっしゃいますが、知らない話が多く、楽しめた、との感想を頂きました。

約1時間のガイド終了後は車4台に分乗して伊奈町の栗畑に向かいました。

皆さんは童心に帰って一心不乱に栗のイガを運動靴で踏み、竹棒で栗を掻き出す作業

に没頭していました。栗拾いは40年ぶり、とか生まれて初めて、という方も多く、

新鮮な体験を楽しく過ごせたようです。

30分ほどで皆さんは1~2kgほどの栗を収穫でき、満足感の充実した疲労感で一杯でした。

普通の栗の収穫期より1ヶ月以上も早く8月末に収穫でき、しかも大きい粒の栗なので、

皆さん驚いていらっしゃいました。

持ち帰った栗は早速栗ご飯等で賞味して頂いたようです。

「自分で拾った栗なので、また格別に美味しかったです。」との感想もいただきました。

来年もぜひやろう!という声も多く、定例行事になりそうです。

その後は台湾料理屋に場所を移して、食事とおしゃべりで、楽しい一日を過ごしました。

上尾駅近くの上尾氷川鍬神社にお参り
上尾氷川鍬神社由来の境内で記念撮影
上尾氷川鍬神社由来の説明
上尾氷川鍬神社の絵馬
境内にある「願い石」
災害から守る鍾馗様
井上脇本陣の鬼瓦
鬼瓦を囲んで集合写真
皮籠石成久さんの絵手紙作品 、 素晴らしい!
さあ、いよいよ栗拾いだ! 正面の森が宮田農園
たわわに実った早生栗
イガイガを割って、栗の実をだすんだよ!
皆さん熱心に栗拾い

感想文 奧村 紀美江

私としては、初めてのイベント参加でした。上尾という街には初めて行きましたが、宿場町の面影が残っていて、歴史ある街だということがわかりました。 栗拾いも初めてでした。大きな栗がたくさん取れてびっくりしました。イガから栗をどう取るのか知らなかったのですが、意外と簡単に取れてびっくりしました。

お食事も安くて美味しくてお腹いっぱい食べました。少しだけ皆さんの名前も覚えられました。また、9月からは仕事のため、なかなか参加できませんが、ホームページなどでイベントの様子を見られのを楽しみにしています。

      この辺に沢山あるよ。
まだ、あるかな?
大収穫! これで、自宅へも大いばりで帰れる! 

栗拾いも終わって、宮田さん推奨の台湾料理店「興福順」に車で移動

皆さんん、「美味しく、ボリュームもあって、値段も安い」と讃頌!

お礼の言葉 
皮籠石 成久 
今回の上尾宿散策、宮田農園での栗拾いは、体験的な活動だったと思います。宮田さんの説明や上尾氷川鍬神社の語り部の金子さんのお話など小学生や中学生にも聞かせたいと感じたのは私だけではなかったのでは・・・。

栗拾いは童心にかえり、夢中で栗のいがを足で剥きたくさん採ることができました。昼食会場も中華料理店を予約して頂いた宮田さんに感謝申し上げます。お陰で、ロングステイクラブの参加者が気持ちよく食事をすることができました。

今回は、宮田さんなくしては実現できないフイルドワークでした。担当幹事の方含めてお礼申し上げます。

追伸

中村一彦
今回、同一行事に、3人の方から投稿があったのは初めてで、嬉しい悲鳴でした。が、編集に当たり、適切なアレンジができたか自信がありません。投稿した方々には意に沿わない部分もあったかと思いますが、ご容赦下さい

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『トムラウシ山に登ってきました』

投稿 奧村紀美江 HP編集 中村一彦

トムラウシ山は、大雪山系の一番南にある,標高2,141mの山で、日本百名山のうちの一つです。大雪山のほうから縦走することもできますが、今回は往復12時間のピストンで登ってきました。Y社主催のツアー登山です。

7月30日日曜日 天候は曇り。風が強く雷雨も予想される予報だったので、早めの出発、ということで午前3時半、短縮登山口出発です。

しばらくは、樹林帯の中を進みます。

突然、岩場に出ました。ここは、ナキウサギがいるところ。静かにじっと待っていると出てくるのですが、余裕がないので、先に進みます。ただ、チチチという、鳥の鳴き声のような声がよく聞こえていました。

しばらく行くと、日本庭園のような場所へ。トムラウシ公園です

                                              高山植物が咲き乱れるお花畑

向こうに見える雪渓を、小熊が滑り落ちるのが見えました。(残念ながら熊の写真はなし)

風が強くなり、たまに雨も降り始めました。そんな中をひたすら登ります。

午前10時半。ついに登頂。残念ながら展望はありません。

同じ道を帰ります。午後4時。全員無事に下山しました。

その日はトムラウシ温泉で汗を流し、宿へ。

31日は、もう帰る日。 宿泊した「とむら交流館」の皆さんが、とても明るく、素朴なお料理も美味しかったです。これは、鹿肉のサンドイッチ。


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ミャンマー奮闘記(1) 

投稿:谷口良雄  編集:中村一彦 

私がミャンマーに行くきっかけになったのは、LSCの中村さんからのお話でした。「知り合いが、ミャンマーでの日本教師を募集しているがどうか」ということでした。

私は「この歳(年寄り)で採用されるのは無理でしょう」と懸念を表しましたが、年齢は関係なさそう、とのことでした。周りからは「ミャンマーって政情不安で危ないんでしょう?」とか,「そんなところに行くのはやめたら?」とか、子どもからは「何があってもミャンマーには行かないからね」などと言われました。

私は、軍事政権下の民衆の生活に関心があったのと、単なる好奇心、野次馬根性のせいで、それほど心配はしませんでした。そして、ミャンマー側とのzoom面接を終え、書類を提出し、結果的に517日にヤンゴン空港に降り立ちました。

東京からミャンマーまでは、
約4000Km
5月17日成田空港9:15発タイエアーアジア航空(エアバスA330型に登上して、ミャンマーに向かう。タイ・スアンナプーム空港でヤンゴン行きに乗換
ミャンマーのヤンゴン空港に着いた時はホットしましたが、出迎えるはずの社長の姿は見えず、焦りましたが、5分ほど待たされてロンジン姿で、現れました。

ミャンマーはラオス、タイ、タイ、バングラディシュ等と接しています。

ヤンゴン空港では、私が赴任する学校の日本語研修を終えた技能実習生が、これから飛行機で日本に行こうとする場面に出くわしました。

4人の青年は北海道の大手自動車メーカーの工場で働くということです。

私を迎えに来た社長と共に、彼らとは握手と励ましの言葉を交わして見送りました。

車から見る初めてのヤンゴン市内は、道路の舗装状態、道路際の個人商店、街を歩く人の服装,雰囲気などは日本の地方都市の昭和30〜40年代を想わせるものでした。

違うのは、民族衣装(ロンジー)をつけた人や、僧侶、そしてサイドカー(バイクにリヤカーを取り付けたような3輪タクシー)が目立つことでした。

また、街中の広告や店の表示はミャンマー語の丸っこい文字ばかりでさっぱりわかりません。

夕方、学校に到着すると早速 事務所のスタッフと日本語教師の全員の紹介がありました。

そして、校内の食堂や教室を確認してから私が住む部屋を案内して貰いました。

建物の2階が学生の寮で、私の部屋は一階です。

私の部屋のすぐ隣はなんと!教室でした。

さらに、部屋への出入りには教室を通らなければならないのです。

翌日以降、学生たちが教室にいる時間に自分の部屋へ(から)出入りする羽目になってしまいました。

部屋はおよそ10畳大の1部屋で、ベッドとスチール製の棚があるだけです。

机も椅子もないので、教室にある物を一式自分で勝手に移動しました。

トイレとシャワー室が部屋とは別にあるのですが、排水管が壊れていて水は出ません。

直すようお願いしましたが、構造上回復は不可能という事でした。

では、シャワーはどうするのか⁉️

寮のすぐ隣に大きなドラム缶が置いてあって、水道水をその中に溜めます。浴槽などという贅沢なものは夢のようです。

学生たちや私は、ドラム缶の水を洗面器ですくって頭から浴びます。お湯じゃなく、水を浴びる生活は私の記憶にある限りでは初めての体験です。シャワーを浴びるときは このドラム缶に溜めた水を使います。お湯はありません

初めは全身に水浴びは冷たくて出来ませんでしたが、いつまでもそんなことはしていられません。2日目にはもう、慣れるしかありませんでした。

洗濯物もこの場で洗います。

学生たちはコンクリートの床の上に衣服を拡げてブラシでコシゴシ洗います。そんな洗い方では生地が傷むのでは!と、心配な私。彼らは人前で全裸になることはしません。必ずパンツかロンジー(ミャンマー特有の巻きスカートのようなもの)を穿いた(着けた)まま身体を洗います。

私のシンプルな部屋。

ヤンゴン空港から車で学校に向かう途中の街の風景
週末の土曜日の夜、近くの広場でダンスを楽しむ学生たち。私も一度だけ輪に加わりました。
ヤンゴン市内を走る、日本の旧国鉄時代と思われる電車車両。ドアは開けっぱなしで走ります。
行き先表示は なんと「快速岐阜行き」のままでした!
青い看板がある建物は校舎の一部です。

学校の授業風景

ホワイトオードの漢字は「漢字しりとりゲーム」です。
学校のスタッフと日本語教師の飲み会です。

ミャンマーは暑いです。停電も多く、クーラーが動かないと猛暑です。
ミャンマー奮闘記(2)をお楽しみに!!

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ヘルシンキ/一人旅 (投稿 小島裕子)

                                                                                                                          

   7月5日から10日間、フィンランドの首都ヘルシンキを訪れました。3年半ぶりの海外!今回は気ままな一人旅です。

北欧の国は初めての訪問です。旅行期間が短かったので、ヘルシンキに滞在してそこから電車や船で小さな旅をしました。例えてみれば、東京に滞在し、鎌倉、江ノ島、川越などを日帰りで訪れるような感じでしょうか。

ほとんどのシーンで英語が通じるので言葉に困ることはありませんでした。

ヘルシンキ空港に着いてまず目についたのがゴミ箱。シンプルなデザインと色使いに目が留まりました。さすがデザインの国、シャープでお洒落です。

【ヘルシンキ空港のスタイリッシュなゴミ箱】

ヘルシンキの街はバルト海に面しているため近くの公園では鳩ならぬカモメが飛び交っています。高い建物がほとんどなく(高さ制限があるそう)緑が多く、首都といってもそれほど大きな街ではないので街の全貌を掴みやすく、とても歩きやすく安全な街です。街が清潔に感じたのは歩道や公園のあちらこちらにゴミ箱が設置されていたからかもしれません。

街のシンボルは中央駅とヘルシンキ大聖堂でしょうか。その二ヵ所が待ち合わせ場所としてよく利用されるようです。私が依頼した半日の街歩きガイドと待ち合わせたのも大聖堂前の広場でした。

   【外観が美しいヘルシンキ中央駅】         【ヘルシンキ大聖堂と元老院広場】     

街中の交通手段として主にトラムを使いました。トラムは10線あり街を網羅しているので移動にとても便利です。ただ、駅名の表記やアナウンスはフィンランド語とスウェーデン語のみで英語は出てきませんでした。

        【トラム】             【トラム座席に描かれた路線図】

街にはカフェがあちらこちらに。フィンランドのカフェはお茶やランチのためだけでなく、ビールやワインも置かれておりディナータイムとしても利用出来、一人旅には使い勝手が良いなと思いました。なかにはレストランと見間違うような立派な外装のカフェもあります。因みにフィンランド人は一日平均5杯のコーヒーを飲むそうです。

   【滞在したホテルの近くのカフェ。お世話になりました】

波止場近くに屋外マーケット、屋内マーケットがあり、歩き回っているとフィンランドの食材が見えてきます。サーモン専門店やトナカイ肉専門店に足が止まりました。お国柄の食材ですね。

      

      【野外のマーケット】            【オールドマーケットホール】

   【マーケット内・サーモン専門店】       【マーケット内・トナカイ肉専門店】

クルーズにも出てみました。小さな島が次から次へ現れ、大き目の島には別荘も立ち並んでいました。夏は森や島の別荘で過ごすこと、太陽の光を浴びることがフィンランド人の楽しみだそうです。そういえばホテルの近くの公園では毎日夕方からコンサートが開催されていました。クルーズ船のスタッフの話から人々が夏を慈しみ満喫する様子が伝わってきました。

そして、滞在中、これは何?と思うものもありました。

                         【①トイレの洗面台に小さなシャワー】

①トイレの個室にある小さなシャワー。手動ウォシュレットのようなもので、個室の洗面台の蛇口をひねって水を出し、シャワーについているレバーを押せば洗面蛇口から出ていた水がシャワーから出てくる仕組みです。ちょっと使いにくく(現地の人には当たり前のものでも)、水も無駄になるような・・。トイレに関しては今のところ日本が世界の最高峰でしょうね。

                     空に浮かぶ謎の物体 【②上空にUFOのようなものが】

②「UFOみたいですね」と言って尋ねたところ、冬は昼間も殆ど日が射さないので、冬の暗い街を明るくするための電灯だと教えてくれました。冬の間人々はビタミンDを摂取することを奨励されているということです。

                              木で作られた礼拝堂

これは木で作られた礼拝堂です。内部も木で囲まれています。ヘルシンキには個性的な教会が多く、岩をくり抜いて作られた立派な教会もありました。

(へえ、今はそうなのね~)と思ったこともいくつかありました。

ヘルシンキの空港からホテルまでタクシーを予約していたので出口で運転手が待機していてくれました。以前はそんな時、運転手は名前を書いたボードを手にしていたのですが、今回はスマホに私の名前を表示して待っていました。予約者を待っている運転手が何人かいましたが全員スマホに名前を大きく表示して待機していました。

また、ヘルシンキは観光客の多い街ですが、街を歩いていて紙の地図やガイドブックを持った観光客を殆ど見かけませんでした。地図を持った人を数人見かけたくらいだったでしょうか。私はトラムの路線図などは紙に全線が書かれたもののほうが見やすいと思うのですが・・。トラムの駅で紙の路線図とにらめっこしていた私はアナログ人間に見えたかもしれませんね。

公共施設のトイレはジェンダーフリーの観点からかユニセックストイレが多かったです。そして有料トイレでは、例えば、中央駅地下のトイレは1ユーロ。でもクレジットカードが無いと入れない。それもVISAのみ。見張りの(?)お姉さんにコインを渡して入るほうがよっぽど早いのになぁと思いつつVISAカードを機器に差し込みました。

                           【夜11時の公園です。まるで昼間】

白夜は初めての経験で、夜11時過ぎても昼間と殆ど同じ明るさ。部屋のカーテンを閉めなければ夜になりません。不思議な感覚でした。勿論ほとんどのお店は夜の7時頃になると閉店します。

北欧諸国の英語能力の高さは有名ですが、今回の旅でそれを実感しました。ヘルシンキとその近郊に関して言えば全てを英語でやり取りでき、会話が通じないシーンも考慮しポケトークを持参したのですがそれを使う機会はありませんでした。

私は外国を旅する時はその国の言葉で「ありがとう」と「こんにちは」を使うようにしています。フィンランド語のありがとうはkiitos(キートス)、こんにちはmoi(モイ)。相手は必ず嬉しそうに笑顔で返事を返してくれました。

今回は久しぶりの海外でしたが、国内国外問わず、旅の醍醐味はお国柄やお国自慢を楽しむことだと改めて感じた旅でした。

余談ながら、ポストの写真(世界中のポストの写真を集めています)もしっかり撮ってきました。

駅構内のポスト 
【フィンランドのポストは角形でオレンジ色】 【帰りの飛行機はムーミンと一緒】?

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新緑を訪ねて! ー2023ー

2023年5月24日 今年は、東京の緑、港区の散策をしました。

幹事は、港区で幼年時代を過ごした峯尾健一さんと、現役時代にこの当たりで活躍した田中靖人さんが企画、ガイドして引率しました。天候も温暖な一日で、楽しい一日を過ごす事が出来ました。
                                  編集 中村一彦

午前9時JR浜松駅北口に集合

まず最初に、浜松町駅近くの「旧芝離宮恩賜庭園」を訪れた。青空に木々の緑、池を中心とした回遊式庭園その地割りと石組みは秀逸です。

                         海水取り入れ口跡

芝大神宮にお参り
芝大神宮は、伊勢神宮の御祭神、天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りしています。御鎮座は遠く平安時代、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建された由緒神お社です。

イスがあってよかった。ちょっと休もう!

増上寺へ・・・・・
浄土宗の仏教寺院。山号は三縁山。三縁山広度院増上寺(徳川家の菩提寺としても有名なこちらのお寺、国の重要文化財にも指定されている「三解脱門」や堂々たる「大殿」など、見ごたえのある大伽藍が鎮座。

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増上寺では子育安産の西向聖観世音菩薩にちなみ、昭和50年頃より子育地蔵が徐々に建立され、境内北側に約1,300体が安置されている。このお地蔵様は、お子様の「無事成長」「身体健全」或いは「水子さま」のご供養のためにと願いを込めて建てられたものです。

増上寺を後に、新緑がまぶしい公園内を通って、休憩しながら昼食所に向かう。

緑を散策、
新緑に映える「東京タワー」が、一段と美しい姿を見せる。


お腹もすいてきたし、
ランチが待ち遠しい。
もう一息、頑張ろう!

到着しました。
有名なインド料理店
ニルワナム神谷町店

インド料理は辛いと思って居たけれど、おいしんだねー。

アイスクリームの「早和」
インド料理の後は直ぐ隣にあるアイスクリーム屋さん
昭和30年、東京タワーができる少し前に創業したアイスクリーム屋さんで、
実店舗は神谷町の工場併設店のみ。
デパートやスーパーには一切卸していない、ここだけの味。 本日の日替わりはピスタチオ。

どれもおいしそうで、何にしようか? 迷っちゃうよね!

愛宕神社
1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られた。
大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。

社殿に行くには、出世の「男坂」(急で高い石段が80段いじょうあす)となだらかな「女坂」それに
現在はエレベーターでも行く事が出来る。我々は「男坂」組と、「エレベータ」組に分かれて登った。
男坂は急階段で、上から見ると転げ落ちる様である

                          丹塗の門で、男坂組とエレベータ組が合流
愛宕山神社隣にある「NHK放送博物館」
1956年に、世界最初の放送専門のミュージアムとして、“放送のふるさと”愛宕山に開館しました。
日本の放送が始まってから90余年、放送は、ラジオからテレビへ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へと大きく進歩・発展してきました。
放送博物館では、こうした放送の歴史に関するさまざまな実物を展示してます。

放送博物館入り口      「ぼっとしてるんじゃないよ」のチコチャン 

幹事の峯尾さん、何か一生懸命説明してる。       テレビ撮影の装置を感心して見ている

撮影されて、テレビ画像に映し出された皆さん。

虎ノ門ヒルズ(とらのもんヒルズ)は東京虎ノ門虎ノ門・愛宕にある複合施設略称虎ヒル

オールプレス・エスプレッソ 虎ノ門 カフェでのコーヒータイム

最後のひととき、思い出を語り、リラックス 歩行約5~6Km ここで解散!皆様おつかれさまでした。 

幹事の峯尾さん、田中さん、ご案内ありがとうございました!

顔イラスト

Spa Resort Hawaiians での新年会?

/幹事 真渓佐智子さん、宮下 弘さん       

HP編集 中村一彦     写真 谷口良雄さん 佐智子佐智子さん 原 よしこさん、中村一彦

1月30日、31日、福島県のスパリゾートハワイアンズに泊まりがけで行き、念願の新年会を行いました。通年は忘年会でしたが、コロナのため3年ぶりの忘年会を、新年会に変更してして、行われました。

晴天の1月30日、
埼玉新都心の、バスターミナルに集合。
14名の参加、
運賃宿泊費10,518円を封筒に入れて提出(バス付きで1泊2日は安いねー)全員そろって
バスに乗り、予定通り9:30に
出発しました。

バスに乗り込む会員、一般乗客と一緒だから、静かにネ!
途中、何回か、3回ぐらいかな?サービスエリアで停車、トイレとお買い物。
West Coast のバス前で記念撮影
お酒ではないですよ!お茶です!
到着までのひとときを楽しむ。
約13時やっとHawaiiansの受付ロビーに到着
幹事が受付をするのに、すごい混んでる。
幹事さんに並んでもらってーご苦労様。
チェックイン後は、昼飯、女性軍はそば屋で腹ごしらえ、おいしかったわー。
夜の宴会、酒豪の特別席、遠慮無く飲んでネ!
夜の宴会、バイキング料理を楽しむ、いろいろ有るよ。お皿に残さない程度に取ってきてよ!
新会員候補 馬場さん
新会員の栗田さん
幹事の宮下さん。気使ってる!
晩餐会ノアとは、感動のポリネシアンショー
▶印をクリックして下さい
ポリネシアグランドステージ
▶印をクリックして下さい
▶印をクリックして下さい
朝食風景(1)
朝食風景(2)
朝食風景(3)
全員集合 午後は自由行動
湯本駅前のリゾートバス停


湯本にはブロンズ像が多い
地元で有名な「源太すし」で
昼食。地元だけあって、うまい!

途中のサービスエリア
これから、都心に向かう。
新都心に到着。幹事さんも一安心。ご苦労様でした
皆さんお疲れ様でした。きお付けてお帰り下さい。
顔イラスト

「私の観たカナダ/トロント」皮籠石成久さん(会員) 

2023年1月17日 浦和コムナーレ   HP編集 中村一彦

コロナ感染拡大のため暫く中止になっていた座談会がこの度3年ぶりに開催されました。
皮籠石成久さんはインドネシアに3年間、カナダに2年間住んでおられました。
カナダは、トロント補習授業校で指導をされてきました。滞在経験でのカナダを語っていただきました。カナダの面積997万610Km2, 日本の27倍

講演者 神籠石さん
開会挨拶 大野理事長
3年ぶりの復帰で、気合いが入る、司会の 峯尾さん
聴講者のみなさん、熱心に聞いてます!
講演にも熱が入ってきました。

カナダの国旗の意味するもの。
The Maple Flag. 1965年2月15日より制定

左の赤 太平洋
真ん中の葉の赤はメイプ(楓)
右の赤は 大西洋
白色はpure(純粋)
赤色はstrong(強さ)

カナダのメイン観光地
奥様とご一緒ー幸せ!
見所がありますネ!
講演者の絵手紙1  カナダの実感が出てます。
講演者の絵手紙2  プロ級の腕前です。

絵手紙もこれだけ描ければ実感がわきますね。   奥様、娘さんと一緒に!
写真は、子供達に教える、講演者(皮籠石さん)
洗濯板を手に入れるのが大変だった様です
日本の古い文化、歴史も教えるのですね