2024年5月15日快晴の元、第2回新緑を訪ねて、今回は栃木市を訪ねました。
幹事 大野康昭・真渓佐智子 投稿/HP編集 中村一彦
日光例幣使街道の宿場町栃木は、街中を流れる巴波川を通して江戸との舟運でも栄え蔵の街としても知られています。塚田歴史伝説館、山本有三ふるさと記念館、隔年に催される秋祭りに街中を練りあるく山車を集めた山車会館等をボランティアの観光ガイドの案内で見て回ります。昼食(現地老舗料理店を予定)後は、巴波川遊覧船乗船に乗船。新緑の中、関東の小京都ともいわれる古い町並みを散策しました。
東西・南北への分かれ道標識。
栃木のルーツ
1617年家康の霊柩が日光山へ会葬され、その後、朝廷からの勅使が、日光東照宮へ毎年参行する様になりました。その勅使を例弊史ということから、通る道は日光例幣使街道とよばれました。栃木はこの街道の宿場町となり、人が集まり、物が集まるようになりました。これが、商都としての発展のきっかけとなったと言われます。さらなる発展の原動力となったのは、巴波川の舟運での江戸との交易であると言われております。江戸からは日光御用の荷や塩などが運ばれ、栃木からは、木材や農産物が運ばれました。舟運は江戸の初めから利用され、次第に交易が盛んになり、江戸の終わり頃には、栃木の商人達は隆盛を極めたと言われております。その豪商達が白壁土蔵を巴波川の両岸に沿って建ててきました。
栃木市の蔵の町並みは、かっての、栄華を極めた豪商達の歴史が築いて来たものなのです。
鯉登りが騒ぐ、巴波川の東側にある100m以上続く蔵、塚田歴史伝説館を訪れました。
「少し長い話ですが、ぜひ、読んでください」
うずまがわ悲話昔この「巴波川」その名前の通りうずをまく暴れ川で、橋を渡しても2年と持たず人々を苦しめていた。
この巴波川が流れる村に「お雪」と「多吉」という16歳と6歳の姉弟が住んでいた。
両親は早く亡くなり親類の家に身を預けていたのだ・・・
さて、ある年また暴れ川「巴波川」が氾濫を起こし橋が流されてしまう・・・
そこで、村人たちが集まり「人柱」を立て巴波川の主「龍神」の気を静めようということになったのだ。そんな時「多吉」が病に倒れてしまう・・・しかしお雪には医者に見せるためのお金もない。
必死に村人たちにお金を貸してくれるように懇願するお雪・・・
村人はお雪が人柱になれば弟「多吉」を助けるためのお金を出し合うという・・・
自分の命を絶ってでも弟の命を助けたい・・・そんなお雪はとうとう人柱となって巴波川の激流の中へ身を沈めたのだ。
やがて巴波川の氾濫はおさまったが村人たちはお雪との約束を守ろうとしなかった・・・
しかしただひとり「鶴松」という男はお雪との約束を守り続けた。
鶴松はお雪をだれよりも好いていたのだ。
さて、お雪が人柱になって間もなくこの村に異変が起き始めた・・・
この村に子供が産まれなくなり、とうとう村中から子供の泣き声が消えてしまったのだ。
このため巴波川にかかる橋はいつしか「子無橋」(こないばし)と呼ばれるようになっていた・・・・
それから十年経ったある夜鶴松の夢枕にお雪が現れ「自分は人柱になったが、龍神は優しく自分を迎入れそして龍神の嫁となった。村に子供が産まれないのは私の怨み・・・」とうち明ける。
しかし、十年の月日が怨みを消したのでこれから子供が産まれるでしょう・・・と言って夢枕から消えていった。
果たして村のあちこちから子供の泣き声が・・・
鶴松にこの話を聞いた村人たちは自分たちの愚かさを知り108つの灯籠を巴波川に流しお雪の霊を慰めることに。
すると巴波川から龍神が現れ天高く飛び去っていったのだ・・・
以来この村では毎年8月6日には108つの灯籠を流しお雪の供養をする習わしとなった・・・
この行事は今でも続けられ栃木市では毎年8月6日には108つの灯籠を巴波川に流したくさんの人々がお雪の霊を慰めに集まって来ます。
また、子供の泣き声が聞こえるようになってから「子無橋」は「幸来橋」(こうらいばし)と名前が変えられ今でも栃木市の巴波川に掛かっています。
*本当に悲しい話ですね!涙が出ました。
遊覧線乗車券です
これには、鯉登り無いですね。
季節が違うのですね。
これで、2024年新緑を訪ねては終了です。皆さん駅まで約8分歩いて行き、解散しました。
東武電車、栗橋経由で帰るもの、JR、小山経由で帰るもの、車で来た方もいました。
天候も良く、この季節は、沢山の鯉登りが見られて、楽しい一日をありがとうございました。
幹事:大野康昭さん
今年の新緑をたずねては、蔵の街栃木市散策でした。女性6名、男性4名、ガイドさんの案内で、塚田蔵屋敷跡、山本有三記念館の見学、昼食を挟んで、巴波川遊覧船乗船のコース、当日は、天候に恵まれ素晴らしい小旅行となりました。太郎庵さんのランチは、蔵の中に席を設けていただき、安くて、おいしかった。
幹事:真渓佐智子さん
初めて栃木散策楽しみに行きました。川まで案内されたから行けましたがもう一回行けるかしらとちょっと駅前では有りませんでした。塚田蔵屋敷は中に入りましたが、中に座っているお婆さんが実はロボットで弾き語りで三味線まで弾いているのにはびっくり、もっと驚いたのは隣に振り返っている中年の男性、実はこれもロボットだったのには本当にびっくりさせられました。見ものでした、ランチが別のクラの中でこれが1500円と言う安値なのにどれを食べてもとても美味しかったてわさ。何でも栃木のランチはどこへ入っても美味しいらしいですね。楽しい1日でした。
以上